そうさ我らは受験生。
今から私の奮闘記及び惨敗記録を残す。
現在高校3年生の私は何を隠そう受験生であり単独カウコンと言う壁にぶち当たっている。
事が起きたのは2016.10.10。2日前のこの日私たちのTLに突如現れた“単独カウコン”の文字は瞬く間に世間を騒がせた。というより共にいた私、八乙女担の友、有岡担の友の輪に爆弾を落としてきた。
JUMPカウコンin東京ドーム…
東京ドーム…
東京……
は!?
東京!?!?!?!?!?
文字がうるさくて申し訳ない、ただ本当にこれぐらいの衝撃であった。
いや、わかっていた、わかっていたとも。そうだよ、京セラはキンキ兄さんがやるではないか。そうだ予想することは安易であったではないか、何をそんなに動揺している……
いやいや、動揺ぐらいするわな
まぁ私達の動揺が伝わったであろうところでやっと本題に入る。
序盤に述べた通り私は就職ではなく大学進学を選んでいる。特技もないためAOはパス、学力皆無の為恐らく公募推薦も落ちるだろう。そうなると察しの通り入試はセンター前期後期全て年明けだ。
まずはこちらの問題点をご覧ください。
- 大晦日に家を出ることができるのか
- 年越しまでに帰宅できるのか
- 受験勉強に支障が出ないのか
- お金は足りるのか
- そもそも当選するのであろうか
続きまして現在の戦略をご覧ください。
31日の朝に「出かけてくるわ」と軽装で出かけるふりして事前に家の前に置いた衣服に速攻着替え新大阪から新幹線で向かい軽く観光して会う人と会ってから参戦、終了後光の速さで新幹線に飛び乗り家の前でまた着替えてまるで近所のイオン行ってきたレベルに平然と帰ろうとしてるのがこのワタクシ。
— ぺ。 (@BonjourMunini) 2016年10月11日
これが私。
大晦日も塾空いてると嘘をつき別校舎で休校でない所に通う友にナンバーログインしてもらい(ログインすると親にメールが行く制度)友達とその母親から金を借りて東京へ参戦しに行き光の速さで大阪へ帰ってあからさま受験勉強してきて疲れたように見せかけ平然と帰ろうとしてるのがワタクシの友達。
— ぺ。 (@BonjourMunini) 2016年10月11日
これが八乙女担の友ね
上記の問題点を考慮し受験生として気持ちを切り替えることを決意した私たちは引用ツイートのように弾丸で大阪から東京へ向かうことにした。
何度もいうがこれは惨敗記録である。
要するにこの作戦が実行不可能であることに気がついたのだ。
去年のカウコン31日1部は15:00に始まり17:30に終わっている。2時間半。これに習い考えると今年の31日は17:00~19:30。19:30に終わってから人混みの集団に載せられず電車も乗り過ごさず何事もなく帰ったとして自宅につくのは23:30。両親の角は生えるどころかむしろ地面を突き破って地球を破壊するのではないだろうか。
全国の受験生JUMP担でしかも関東圏でない人は如何にして年を越すのであろう。テレビ所有権を持たない故にジャニーズカウントダウンも見れない私は如何にして年を越すのであろう。
2日前の98lineのTLの荒れ方は尋常ではなかった。楽しくなるくらい荒れていた。去年同じ運命にあった97lineの先輩方を尊敬し崇め信仰すべき案件だ。
自主的に行かない受験生、行きたくても行けない受験生、金がなくて行けない受験生、インフル予防で行けない受験生。
結局行くにしてもTwitter上で堂々と楽しかったと綴るのは気が引けるぐらい全国の98lineは皆恐怖のどん底だが、同時にカウコンに行かないという事は人生単位でする後悔。
残念ながら私はもう一生2016年に取りつかれ13月を永遠に探しさ迷うことになるようだ。明日は来ない。
最後に一言。
へいよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉじゃすとわなぁどぅぅぅぅぅぅぅぅぶぎのぉぉぉぶぎぃふぎぃのぉぉぉぉぉぉぉぶぎのお
追記(2017.5.1):カウコンが終わり、実際私が結構した手段をお伝えする。
先に結果を言ってしまうと、私と有岡担は行ったが八乙女担は行かなかった。自分の現在における学力に向き合い統一テストの結果を踏まえ、やめることを選んだ優秀な奴だ。
朝なにも言わず始発で家出、当時別居中だった母親が協力的でお金を貸してくれた。有岡担と共に東京を満喫し、そいつは一泊してくるということで私は1人で即大阪に帰った。まぁ問題をお伝えすると、
- まず興奮しすぎてホームを間違え指定席新幹線を目の前で逃す
- よって時間が10分ほどズレてしまい、カウコンをリアタイできない現状に襲われる
バカである。大変バカである。
追記で長々と話をするのは違うのでサラッといくよ???はい、弟を自転車で駅まで迎えにきさせ、十何枚のうちわ、30近くにのぼる9ぷぅストラップ等(友人もろもろのを持って帰ってきた)の入ったカバンを弟に持たせ歩いて帰らせ、私は弟の自転車で全力疾走して帰った。最高か!!!弟とは絶縁関係だったが久々に連絡を取るとご機嫌だった。